私のプロフィール
- 1.かれんという名前
- 「可憐な人になるように」と母がつけてくれた名前です。
幼少時代からおてんばで、元気に走り回る子どもだったそうです。
- 2.大文字駅伝の予選
- 残念ながら予選敗退。翔鸞小学校代表でマラソンの予選に出場できたことは
貴重な経験です。
- 3.吹奏楽の世界へ
- 3歳上の姉の影響で始めた吹奏楽。
吹奏楽からチームワークの大切さを学び、
一生涯の友人に多く出会うことが出来ました。
- 4.家族旅行
- 憧れだった同志社大学への進学が決まったお祝いで飛騨高山へ。
このころから「かれんは将来、市会議員になれ!」と
父から呪文を唱えられていました(笑)
- 5.同志社大学応援団吹奏楽部で応援漬け
- 今出川キャンパスでの講義のあと、
週6回京田辺キャンパスにある練習場へ通う4年間でした。
特に部活の同期は今でも交流のある大切な仲間です!
- 6.成人式
- このころから体調を崩した父と写した最後のツーショット。
「かれんは、かれんらしく生きろ!」と常に励まし続けてくれた父。
亡くなったときに、「父の分まで働くのが、私の使命」と心に誓いました
- 7.堀場製作所の社員時代
- 大学卒業後は㈱堀場製作所に就職し、半導体関連の分析機器の営業アシストとして、
製品を待ち望む世界中の人々を相手に仕事をしておりました。
短納期での注文が多く、時には社内を走り回って納期交渉を自ら行っていました。
- 8.京都党村山祥栄政治塾にて
- 京都市政に関しては衝撃的なお話が多く、学びの多い1年でした。
「京都の未来の為に今、行動しなければならない」という使命感に
駆られていきました。
- 9.政策学部10周年記念式典
- 野間敏克教授のゼミの1期生には京都党の江村理紗市議、
中島拓哉前市議がおられます。記念すべき4人のショットです。
- 10.京都の未来の為に一念発起
- 2014年7月、烏丸今出川交差点にて初めてマイクを握り
「若さと可能性に、京都の未来を託してください!」と訴え続けました。
- 2015年4月 初当選
- 上京区の皆様から4227票頂戴し、最年少京都市会議員として議席を頂戴しました。
とことん現場主義を徹底し、皆さまからしっかりご意見を頂戴して、
託された想いを政策実現と行動で形にしてまいります。
- 2017年 長女を出産
- 妊娠中はつわりなどがほとんどなく、産む3日前まで仕事をしておりました。
産後2ヵ月の休暇を頂戴し、その後は保育園にお世話になりながら、夫婦二人三脚で子育て中。
- 2019年 京都市会議員選挙にて4999票を頂戴し、2期目の当選
- 組織の後ろ盾のない草の根の活動による選挙でしたが、4999票を頂戴し再選することができました。